はじめに〜自己紹介〜

はじめに

 私は中学1年生から潰瘍性大腸炎を患ってきました。もう10何年もの付き合いになります。やはり、皆様と同じ様に、人生の中で何度も入退院を繰り返し、学校に行けない日々、休職を強いられてきました。その度に39℃を超える発熱、止まることを知らない下血、押し寄せてくる腹痛、歩けないほどの関連痛が腰背部、股関節にありました。 

 

 

高校時代

 私は小学生から高校生まで野球部に所属していました。周知の通り、厳しい練習を重ねる毎日でした。努力すれば報われる。そう純粋に信じ、厳しい練習にも耐えてきました。結果、一年生の夏からベンチ入りし、秋には5番打者で出場する機会を頂きました。しかし、その頃には体がボロボロ。医者には辞めて入院しろと、家族にも辞めろと反対されていました。それでも、私は甲子園を目指しバットをひたすら振り、何キロも走り、夜遅くまで練習に励みました。

 ある日、朝起きると歩けなくなっていました。くしゃみをするだけで体に電気がながれるような激痛が伴いました。そして、入院を余儀なくされました。病院のベッドで動けない私は、ただただ天井を眺め、生きてるのか死んでいるのかわからない。感情が麻痺してしまったかのような状態が何日も続きました。

 退院すると母に無理矢理、退部届けを書かされました。有無を言わさぬ顔で言われ、自分には反抗できる気力もありませんでした。自室で退部届けを淡々と書いたのを覚えています。書き終えると、自然といつもバットをふっていた場所に向かっていました。そこで、溜め込んでいた感情が溢れ出てきました。自分のものと思えない泣く声や嗚咽が広がり、悔しさが全身に溢れてきました。私はその場で何度も何度も自分の腹部を殴り続けたのを覚えています。しかし、何も解決する方法などなく、ただただ立ち尽くし、やり場の無い悔しさと痛みだけが残りました。

 学校に戻り、監督に退部届けを渡しました。しかし、監督は私を引き止めました。まだ、夏は終わっていないと。どんな形でもいいから、途中で投げ出さず最後までやることが大事だと。結果がどうであれ、続けることが必ず自分の人生の糧になると。私は不器用で何一つ上手く伝えられませんでしたが、監督はすべてを理解してるように、優しく受け止めてくれました。そして、退部届けを破き、再び私は野球部に戻ることを固く決意しました。その後も話は続きますがが長くなるため詳細は割愛します。

*入退院を繰り返しながらも最後の夏までやり抜きました。

 

大学時代

 何度も死んでしまいたい。なんで生きなければいけないのか。生きる意味はあるのか。そんな、答えの無い問いに本気で向かい合ってきました。体調が悪い時期は、何日も何日も眠れない日々が続き、夜明けとともに少しだけ眠る。そんな生活をしていました。今思い返せば、軽度の鬱状態であったと認識しています。当時一番信頼していた彼女に悩みを相談しても、気持ち悪いと、馬鹿じゃないかとあしらわれました。

  

現在

 今は寛解し平凡ではありますが仕事もプラーベートも充実しています。友達はできましたが、やはり、人生の中で自分の想いや悩み、葛藤などを深く話す機会や勇気が無く、心では孤独に生きてきました。また、10代の頃は病気のことを理解できない人達(友達、家族、大人たち)から誹謗中傷を受けた苦い記憶があります。当時は家族とも確執があり、自分が心休める場所がありませんでした。

 

最後に

 みなさんは学生時代、授業中に何度も催す便意に冷や汗をかきながら耐え忍んだことはありますか?彼女の前で便失禁したことはありますか?病気のためにできなかったことはありませんか?きっと、私なんかよりも辛い想いを抱えている方々はたくさんいると思います。 私は、このブログで少しでも多くの方々と交流できればと考えています。また、実際に行った治療などの情報なども載せていけたらと考えています。そして、皆様の体の状態や心の重みが少しでも軽くなれるようにと切に願っています。

 

 

スポンサード リンク

広告を非表示にする